日々雑感

「アリとキリギリス」の話って、一方的すぎやしないか?今風に解釈すれば、もっと素敵な生き方が見えてくるよ。

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みなさん、「アリとキリギリス」の話ってご存知ですよね?イソップ童話の、あれです。
アリのような人生だけが正しくて、キリギリスみたいに人生が悪いのだとしたら、そんなの全然楽しくないですよね?
この話って、すごく一方的な視点で描かれていて、別の視点から考えると、違った見え方がしてくると思うのです。

ども、とんじるです。ぶっひん。

今回は「アリとキリギリス」のお話です。

夏の間、汗を流して働くアリを、キリギリスはバカにしながらうたを歌って楽しく暮らしていました。しかし寒い冬が訪れて、食べるものがなくなったキリギリスはアリに食べ物をめぐんで欲しいと懇願します。

そのあとはアリが食べ物をめぐんであげてキリギリスが感謝する話と、食べ物を与えることなくキリギリスが死んでしまう話と、ふたつの結末があるみたいですが、どちらにしろ「真面目に働くアリが正しくて、遊びほうけているキリギリスみたいな人間になってはダメ」という教訓…。

これって、どう?

アリのような人生だけが正しくて、キリギリスみたいに人生が悪いのだとしたら、そんなの全然楽しくないですよね?

この話って、すごく一方的な視点で描かれていて、別の視点から考えると、違った見え方がしてくると思うのです。

アリは、キリギリスに憧れていたんじゃないか?

とんじるは、キリギリスが死んじゃう方のエンディングは無視します。あまりに悲しいので。救いがない。

もうひとつの、アリが食べ物を与える方の話。童話ではアリが食べ物を「めぐんであげた」みたいな描き方をされてますが、本当にそうなんですかね?

アリはどういう気持ちでキリギリスに食べ物を与えたんでしょう?

どんな気持ちで働いて、生きていたんでしょうか?

アリは、来るべき冬に備えてまじめに働く自分に対しては、なんの疑いもなく、自分自身に誇りを感じて働いていたのではないかと思います。そう。多くのサラリーマンのみなさんや、とんじる自身のようにね。

でもね、その一方で、自由に生きるキリギリスのような人生をうらやましく感じていたんじゃないかと思うのです。毎日キリギリスの歌を聴いて、なんか元気をもらっちゃったりして。だから、キリギリスみたいな生き方にちょっと憧れて、

「そうなれたらどんなに幸せだろう」

なんて思ってたんじゃないでしょうか。

 

でも、キリギリスの生き方って、やっぱり楽じゃない。

でも一方で、キリギリスのような生き方って、やっぱり楽じゃない。毎日うたを歌ってばかりじゃ生活できない。でもキリギリスは歌うのが好きだから、自分のうたを喜んで聞いてくれる人がいるのなら、もうちょっと頑張ってみようと、アリの知らないところで必死に練習したりしているんだと思うのです。

アリはたぶん、そういうことを知ってたんじゃないかと。

だから冬になり、困っているキリギリスに、自分の食べ物を与えたんではないかと思うのです。自分だって決して楽な生活じゃないけど、夏に聴いたうたに対する感謝だったり、生き方へのリスペクトだったり、そういう気持ちが乗った行動だとしたら…

ほら、結果としては「アリはキリギリスに食べ物を与えました。めでたしめでたし」で一緒なんだけど、なんかこっちの方が素敵なエンディングになった気がするでしょ?

 

アリでもない、キリギリスでもない「アリギリス」な生き方

今日、とんじるは地元の大道芸のイベントに行ってきたですよ。
そのパフォーマンスを見ながら、ふと思い出したんです。「アリとキリギリス」の話。

大道芸人さんの生き方って、まさキリギリスのそれでしょ?

あんなの見せられて「遊んでばかりいて」なんてこれっぽっちも思わない。リスペクト以外の何物もないですよ。きっとすごい努力をしているんだろうなあ、って。

でも一方で「あんな生き方できないよな」と思う自分がいます。今の仕事が嫌いなわけじゃないし、守るべき生活や家族があるからね。

だからブログをはじめました。

普段のサラリーマンの仕事は続けながら、自分の感じたことや考えたこと、体験したことを表現する場をつくることで、何かを変えたくて。
アリの仕事を続けながら、キリギリスみたいに自分を表現していきたい。そんな「アリギリス」な生き方を目指していければと思っています。

…あ、ブログ名「アリギリス」でもよかったかなあ?
でもドメイン「merumae」でとっちゃったからなあ…

とまあ、ブレブレなとんじるです。

ではまた。ぶっひん。

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